セザンヌ 牧歌 1870

セザンヌ 牧歌 1870

Wednesday, January 21, 2015

第六十七章 時代は作られるPart4 幼稚なメッセージ、小物に踊らされる人類の季節

 現代世界は国家民族の違いを超えてどの宗教文化圏も完全に社会性、つまり他者と共有し得る何等かの価値という形で人類が画一化していく方向を選択している。つまり教育と社会インフラへの同化とに拠って公的基準に全てを合わせる形でのみ、人の幸福も生きる価値も規定され、努力して達成する目標がどの国家社会でも設定されている。要するにそれは現代科学のテクノロジーを最大限に利用する形で世界基準を目指す事を理想としており、それを善としている。科学生活者主義とでも言うべき合理性で統一されている。だからこそ昨今のイスラム国やボコ・ハラム等の過激派の行動が目立ってしまうのだ。
 だがこの稚拙な全く正当性を欠くテロリズムの仕方はオウム真理教でも体現されていたし、個人の猟奇的犯罪、日本では宮崎勤連続幼女殺害事件、長崎幼女連続殺人事件、秋葉原通り魔殺人事件等でも体現されてきた。それに加え大人社会の模範となるべき政治家が公費乱用に関する謝罪会見で統合失調的態度を自己陶酔的に行う(野々村龍介前兵庫県県会議員)といった失態がネット上、メディアで大きく取り上げられ、所謂人類全体が集団、組織であれ個人であれ幼稚な存在であるというアピールをする事がマスコミやジャーナリズムを翻弄している。今回の日本人人質の釈放に対して二億ドルを要求するイスラム国の暴挙も全く手続き的な正当性を欠く幼稚な仕方である。
 しかしそれは前述した科学生活者主義的な数値目標設定、日本で言えば偏差値等の偏重的システム、つまり合理主義的社会運営自体への人類のストレスが誘引している要素は否めない。つまりあらゆる統一的社会合理性へ自己を当て嵌めていかなけれないけない暗黙の使命感へストレスが沈殿して、それが一気に爆発しているという状況が現今の人類の姿ではないだろうか?
 幼稚な存在へと格下げされている人類の姿は一国の首脳が幼稚な仕方でのウェブサイトを利用したテロリスト集団に翻弄されていて、大物とかリーダーという立場の人達の面目を失墜する形でのみそういったテロリスト集団を活気付けている。つまり昨今の19歳の少年に拠るyoutubeへの悪乗り投稿の最たる形での爪楊枝商品破壊行為にメディアが数日ずっと翻弄され続けたが、これはメディアを翻弄させる事が稚拙な少年でも可能であるという現代社会の喜劇的様相を如実に示している。
 確かに70年代から80年代にかけてもミージェネレーションとかミーハーという世代論は在ったし、オタクという語彙が定着していった時代もあった。それ等全てを総じて人類の幼児性の噴出と捉えれば、人類は一方では数値目標に雁字搦めになって其処から脱出する事が出来ない状況にあって、だからこそ逆にそのリアルに反発する潜在的欲求が他方では幼稚なテロリスト集団、それはイデオロギーや大義や義憤より余程突発的衝動に身を任せた仕方に転落している訳であるが、そういった短絡的思考が支配している衝撃性にだけ意識が志向しているし、目標も愉快犯的要素が強く、そういった傾向へどんどん偏重していっている。
 社会全体の合理性から言えば甚だ乖離してしまっている幼稚な方法に拠って瞬発的に社会や世相を混乱させる(それは韓国大企業の経営者ナッツ姫の旅客機滑走引き戻し事件にも顕れていた)トピカルデヴィエイトメッセージになっている。
 テロリスト、メンヘラ的なオタク等が本来なら価値とされなかったのに、全ての既成価値へ懐疑的視点が注がれていった結果、小物達が個々自己主張して跋扈し、大物とか安定した志向の大人を翻弄するという図式の社会様相が世界的に実現してしまっているのだ。小物とは常に思想はない。それはエゴ丸出しであり、節操も無いし狂信的なアイドルや教祖を求める。その魁こそオウム真理教であったが、犯罪の動機も身勝手で幼稚であり、その大人的態度との乖離こそ、実は全てのジェネラリスト的感性を嘲笑う超絶的専門分化とオタク的な感性との境界の無化に拠って助長されてきている、というのがここ数十年の世界の一般的傾向である。経済社会でも80年代のリクルート事件から0年代のライブドア事件に到る迄徐々に子供のエゴ丸出しの気分が日本社会でも増幅されてきた。マネーゲーム的情報社会からオタク経営成功戦略的ゲーム社会へと推移してきたこの三十年の日本史とは、大義や義憤より、より白けた無動機主義、衝動的トピカルメッセージ主義、まさに社会世相や時事性に於けるモブフラッシュと幼稚なテロリストゲームとの境界さえ曖昧になってきている。つまりこのクリエイティヴである風を装うモブフラッシュの話題性とテロリストに拠るウェブサイトのyoutubeその他をフルに活用した脅迫ゲームとは深層心理では人類社会全体では共謀しているのだ。
 つまり人類全体が価値論的には既に本物主義とか本物とか本格的な事とはあるのだ、という無思考的で判断停止的なアカデミックな保守主義全体へ懐疑的なのだ。偽物とか出来合いの思想の方にリアリティを持っているのはフィギュアやラヴドール等を愛好する現代人にとっては尤もな事である。アイドル追っかけや秋葉系のコスプレショップやメイド喫茶で王様気分のエゴ丸出しの欲望を発散させて喜んでいる現代人はオナニークラブの様なフーゾク店が流行ったかと思えばそれに飽きて再度パラパラステージに魅せられたりして、要するに全てのファッションがサブカルへと浸食し、やがて文化全般を幼稚な感性で染め上げ、オタクと専門家の間の境界さえ無化しつつある訳だ。しかしそれ等全ての社会現象や世相や時事的な特質も、実は最初に述べた経済合理主義と偏差値的エリート選抜をする科学生活者合理主義への極度の同化的強制への進化スピードの加速化に拠る人類全体のフラストレーションが後押ししているのである。
 だからこれからも時々シャルリ・エブドの襲撃事件等一連のテロ行為は、中国でウィグル族の自爆テロが起きる様に散発的に繰り返されていくだろう。アメリカでコロンバイン等をはじめとして時折衝撃的な銃乱射事件が起きては沈静化し、忘れた頃に再発しという様な繰り返しがかなり長期に渡って持続するだろう。
 最早世界的規模でマスコミもメディア自体も理性を失いつつある。幼稚化現象は既に国家元首から科学者(STAP細胞問題に象徴されているが)から官僚等に到る迄、要するにテロを取り締まるエリート層全体にも恐らく蔓延している。と言う事は一般大衆とエリートの二層構造は確かに経済格差的には体現されているが、肝心の精神性では殆ど無くなっている。だからこそ時としてTwitterで暴言をツイートして失職する様な人達が登場し、議会でセクハラ的発言をする事で社会問題化したりするという事も繰り返されるのだ。
 しかしそれ等も全てブロードバンドが世界中を覆っている現在、電波の交信全体が人類の脳細胞の何等かの部位を破壊していっているからこそだ、とも言えるのだ。だがそれを人類は未だ暫くは伏せておこうとするだろう。何故なら全ての幼稚化を否定したら、どの社会成員も生きていけないと知っているからである。つまり正規社員も非正規社員もエリートもメンヘラニートも全ての社会成員が共謀してこの幼稚化、オタク化的な人類志向を否定出来ないというある種の諦め的気分にあるからである。それはマシーンそれ自体が人類の感性を劇的なスピードで変化させつつある証拠である。実際医療的進化に於いて人類はサイボーグ化していくだろう。それはその進化の止められなさに順応する様に全人類が構えているからである。
 それは言ってみればマゾ的にツール・ディヴァイスの利用快楽に身を委ねる感性のサーファーに人類が率先してなってきている、という風にも言い換えられるだろう。

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