セザンヌ 牧歌 1870

セザンヌ 牧歌 1870

Thursday, May 30, 2013

第四十四章 価値と倫理Part3 革命への失望と断念とアートパフォーマンスとモブフラッシュ

 コミュニケーションが求められる事は、有益なそれとそうでないそれとを分ける認識に拠ってである。要するにそこにはメッセージとして残すという意識が生じている。それはあるメッセージを権威付け、別のメッセージを捨てて忘れ去る事である。
 しかしそもそも言語行為を、コミュニケーションを我々は残す為にしてきたのではなかった。だから東浩紀に拠るハンナ・アーレント等へのオマージュ的な動物化という語彙とは要するにコミュニケーションとメッセージへの権威化を無効化させる欲求を現代人は抱いてきているという言及であった。それを更に宇野常寛がネットコミュニティでオタク的にクラスターを我々が形成し本論を求めるのでなく、余剰のみを精神的に追求すればいいという考えを推し進めた。これは言い換えれば革命の断念である。要するに社会はもう変わり様がないのだから、社会機能や社会機構をその侭にして余暇とかルティン的時間以外の余剰を精神的豊かさを持つべき時間へと変質させていけばいいという思想である。
 しかしこの様な意識の変換を提唱したのは宇野が最初ではない。既に二十世紀にはアーティスト達がハプニングとかパフォーマンス等の確立に拠って残す為の行為でなく、その時の瞬間的出会いの感性を育もうと考えたのであった。何故そういうトライアルをしたのがアーティストであったかと言うと、アートとはそれ自体が作品提示行為なので、モノを残す、モノを作れば残ってしまうというアーティストの自我と、それがもしそんなにないものであってもモノ自体が残ってしまうという社会現象に興味があったからである。
 その点ではアーティストは哲学者以上に残す事、残る事への観念の洗い直しに関しては哲学的であった。フルクサス等のグループが世界的規模で展開し、草間彌生も若き日々にはNYでパフォーマンスをしていたのだった。それは言ってみれば意識の変革を促すトライアルであったのだ。つまり貴方がアート作品を創造し制作する事は、それを残す為なのか、というニッチマーケット的地位であるところのアート市場が市場価格という形で資本主義社会の中でアートをコレクターとディーラーとクリティックとキュレイターが共謀してある作品を権威化する事でそれ以外の作品を取るに足らぬものとしてきたそのアート市場と文化コード全体への懐疑主義がアーティストに刹那の瞬間的出会いのハプニングとかパフォーマンスへと意識を向かわせた。そしてアート史的には明らかにパフォーマンスの進化過程に於いてインスタレーションという仮設的な空間装置の創造行為が進化していく。
 その行為をアーティストだけでなくデザイナーも応用し、スポンサーがついて企業包みで行ったりヘヴンアーティストやミュージシャン達が競合したりして今日のモブフラッシュ等のムーヴメントが行われる様になってきているのだ。
 現代のきゃりーぱみゅぱみゅ等のモブフラッシュは作詞作曲家、衣装選びの最新鋭ファッション仕掛け人、ダンス振り付け指導者、アートディレクター、録音技師等の芸能パフォーマンスのスタッフ全員が一方では音楽を配信するサイトビジネスと共謀して執り行っている。それはしかしかなり積極的な既成の社会インフラの利用に拠ってであるので結局資本主義社会の貨幣と金融の循環システムを肯定した態度であり、初期アートパフォーマーに拠る社会全体への問題定期であるよりは、より娯楽提供の意識が強まっている。それは東京都がヘヴンアーティストを容認しだした頃から既に革命の断念という意識の恒常化に拠って促進されていた。要するに初期アーティストに拠る発明はモティヴェーションのアート哲学性を剥奪され様式化され社会の時間論的インフラ、つまり瞬時の娯楽提供へと転換され応用されてきたのだ。これはアートの追求とか思索メッセージではなく反映的資本ゲームプレイへの転換と読み替えられる。その読み替えが何故いけないという形で示したのがシンディー・シャーマンであり森村泰昌であり、アートとは個人が個の内面を描く自我論的ツールではないとして近代アートの個性主義神話と個神話をぶち破ろうとして中世の工房システムを復活させメディアを取り込んで戦略的に行ったのが村上隆である。彼のメディア戦略の中から価値を見直された草間彌生、後発世代では会田誠、やなぎみわ、できやよい等がそれらの戦略を踏まえて登場してきたのである。
 しかしここでもう一度メッセージを残すという事の意味に就いて考えてみる必要がある。
 つまり一体我々人類は言葉を残す為に利用してきたのだろうか?
 そうではないだろう。
 人類が言葉を残そうとする様になったのは人類史全体から言えば比較的最近の事であろう。生物学的に言えば今現在を大晦日とすればほんの師走も暮が差し迫るクリスマスくらいの頃からであろう。
 人類が言葉をきちんと残す様にしだしたのは法の明文化からであろう。社会進化、とりわけ貨幣の発明に拠って利子その他の制度が確立して以降人類はバーター交易では生じなかった様々な貧富の差と金融システムを保持してしまっていて、その為に法を要した。そして政治が交易その他の行為を取り締まる様になっていく。政治が司法秩序を維持する為だけでなくなっていくプロセスで初めて人類は国家を所有する様になり、必然的に政治行為を記録化する様になる(議事録その他)。言葉がそれ自体として残される為に書かれる様になっていく過程で聖書も初期原型を形作られた。グーテンベルグの登場はそれを欧州諸国へ聖書を印刷する形で普及させる。言葉が「残す為のもの」として明示される過程では交易の為の貨幣の発明と、国家の成立と政治秩序の形成等を要した。
 やがて人類は産業革命を経験し、写真を発明、録音機材を発明、電話、映画等を発明する。ハードとソフトが分業し始め、聖書以外に辞書や小説等が一般市民に読まれる様になっていき、映画を観る様になり、新聞で写真を眼にする様になる。その過程とはとりもなおさず公文書しかない状態から一般書籍が普及する過程である。
 しかしそれでも尚我々が言語行為をするのは、何かを残す為にだけなされてきているわけではない。その事のメッセージを初期アーティストに拠るハプニングやパフォーマンス(50年代以降)のトライアルは志していた。
 だからモブフラッシュの行為はアートに拠って出された問題提起自体がマスメディアや政治的国家的統一それ自体が変数的に揺らぎがあっても関数的には革命に拠って倒される可能性が著しく希薄化していく過程で、そのトライアルがデザインやフッションへと置き換えられていく過程を経て初めて成立している、と言える。革命に拠って国家や社会を変革する事への失望やそれを断念する事で新たなフェイズへと意識を向かわせる為に一瞬の日常の驚きを得る事が価値化されていった過程とは、そういったアートモティヴェーションに拠るパフォーマンスを経てもアート市場の、ある作品は素晴らしく高価でどの国家もオークションで欲しがり権威化されるというリアル資本主義社会の変わりなさへの暗黙の精神的抵抗がベースにある。
 権威化とは他者の偶像化から始まっているが、それがアートという宗教儀礼性と密接に進化してきた世界でも顕在化していく事に拠ってマイスター的地位の天才とそうでない人とが分離していく。他者偶像化を政治でも経済でも経験してきた人類は偶像化を今度は自己、自分へも応用し始める。その際に重要なロールを担ってきているのがウェブサイトがブロードバンドの施設される過程で確立していくSNSであろう。
 つまりそこでも既に人類は誰しもが最早既に言葉を残したくなくても残っていってしまうネットコミュニケーションでのリアルなるオブセッションに見舞われているのだ。そこでほんの一時だけでも世界の日常とは変わり得るという幻想を享受する事に快楽を見出し始めた。そこで本来はアート作品を残す事のみを正業としてきたアーティストが残す事は写真とか動画とかだけで作品本体はパフォーマンスの時間内だけで跡形もなく消え去る事に愉悦を見出した。そしてそこに眼を付けたのが企業のプロパガンダと音楽業界とであった。そしてYoutube、WikiLeaks等を日常的に保持した人類は非商業的行為と商業行為との境界自体を無意味化させる方向でそれらの行為を認識し始めた。 要するにモブフラッシュの登場に拠って我々は国家や議会への革命だけを志向する事は今日的な意味ではテロリズムへ行くしかないと知っているので、そういったバイオレンス抜きで行える日常的認識とか判断に内在する因襲性の打破をパフォーミングに拠って見出す活路を見出したのである。そこに脈打っているものとは20世紀アーティストが否定するべく命題化させた権威化されたモノ(作品)という制度への懐疑にも内在していた権威化と偶像化への問い直しそれ自体である。
 権威化とは必ず偶像化され得る他者に向けてなされるという事実へのネームレスな市民の突然のインプロヴィゼーション的参加という形での「残すもののみが価値なのではない」という形での「一瞬で終わるパフォーマンスの刹那的日常の喜び、快楽の発見も又精神にとっては価値である」というメッセージなのであり、それは残さない事の人類に拠る美学への覚醒であるとも言えるのではないだろうか?
 付記 尚初期ハプニングは意外性という状況内反社会的メッセージ示唆性に本論があり、パフォーマンスは造形的美に本論がアート史的にはあったと言えるが、今日のモブフラッシュはその双方を巧みに接合させより娯楽性の強いものとしている(昔アーティストの行った事はそれ程洗練されていないが故に新鮮な驚きをその場で観客となった人々は得ていたのだった)。暗黒舞踏派等の人達の活動もこのパフォーマンスと実験演劇・アングラ演劇の試行と共謀していたと言えよう。