セザンヌ 牧歌 1870

セザンヌ 牧歌 1870

Tuesday, October 21, 2014

第六十三章 近代アートの市場性とそれへの批判体としての現代アートPart1

 思想としてのアートと捉えると、どうしてもアート市場という事が問題となってしまう。だがアートは唯一思想的な想念を度外視して楽しめるヴィジュアルな娯楽であると、そう割り切っても決して間違いではない。その証拠にどんなに現代アートが逆立ちしたって、近代アート迄に人類が構築した遺産を超える事がなかなか出来はしないという事が意外と本当だからだ。
 それでもでは何故我々はかくも観ていて心地よく豊かな気持ち、気分にさせてくれるアートを望み好むのかという問い掛け自体はアートへの思想という事にもなろう。
 アートは心を豊かにさせてくれるヴィジュアル的な娯楽だからこそ、損得勘定抜きで観ていいものはいい、いいと思えないものは良くはないとはっきり個人の判断で言っていい世界でもある。そしてそれが唯一の基本的思想である。
 昨今、オルセー美術館展、チューリヒ美術館展、82回版画展、HOKUSAIボストン美術館浮世絵名品展を立て続けに鑑賞した。美術の秋という事で、我々は比較的容易に首都圏に住んでいれば(とりわけ東京や横浜に行きやすいのであれば)いい絵画を鑑賞する事が出来る。
 オルセー美術館展は印象派等を中心に近代アート絵画を堪能出来たし、チューリヒ美術館展は印象派以降のフォービズム、象徴主義、表現主義絵画を堪能する事が出来た。そして82回版画展では現代の創作版画の可能性の領域の広さを堪能出来、北斎展は名実共に世界的に偉大な一人の日本人画家、アーティストの作品世界を堪能出来た。
 欧米西欧絵画には幾つかの表現的な形式がある。一つは写実主義、一つは表現主義、一つは形態美追求主義である。そしてそれ以外に物質的美主義だ。
 セザンヌは初期、印象派に影響を受けていた中期、そして後期と三つの時代で異なった形式を踏襲した。初期は宗教神話性の強い表現主義、中期は色彩による形態美追求、後期はより中期以降の理念を徹底化させた形態美追求である。中期は色彩的な美から形態を追求したが、後期は色彩的彩度より形態間の相関的な抽象構造を追求した。
 一般に形態素の抽象画家と思われているピエト・モンドリアンが晩年に到達した形態美は、しかし初期から行われていた宗教神話性の強い表現主義(実際のアートモードから言えば象徴主義的な)から徐々に形態美を形態素に拠り最小限の色彩の選択で行っていく形で晩年の境地に到達した。同じ様にセザンヌもモンドリアンより先にそれを行っていたのだ。つまり抽象絵画の父と呼ばれるセザンヌは実は絵画主題性を表現主義的に行う中で徐々に形態美、形態素抽象へと赴いていったのだ。
 その意味ではブラマンクやムンク等フォービズト、象徴主義者である彼等は後期セザンヌより初期表現主義的セザンヌから啓発された部分が大きかったのだと思われる。セザンヌの三つの時期の代表作をオルセー美術館展で観る事が出来た。
 更にチューリヒ美術館展ではとりわけセガンティーニ(象徴主義者)、ホドラー等の名作を鑑賞する事が出来る。ホドラーの絵画は風景を背景にしたエロス神話的な人物像(裸婦が多い)を配す構想画である。彼の描法は戦後アメリカの偉大な具象画家であるジョージア・オキーフへも多大の影響を齎しているものと思われた。実際に風景描写的描法は明らかにホドラー発オキーフ着の要素がある。そしてホドラーとオキーフは明らかに写実の系譜であり、セガンティーニもそうである。彼等以外ではマティスの師であったギュスターブ・モロー、そしてオディロン・ルドンもその系譜である。
 もしセザンヌ初期もそれに加えるならマネもそうであるしルノワールもそうであるが、近代は現代フォルマリズム中心に見た時抽象画の時代だと思われているも、実際には写実に新風を送り込んだ時代だったとも言えるのだ。
 又ゴヤの銅版画、ドーミエの石版画、マネの<草上の昼食><オランピア>の持っているアイロニー、風刺性、諧謔性も又絵画主題の形式により貢献しているが、これも写実主義の系譜と捉える事が出来る。風刺画やそのスピリットは写実主義に拠り具現化されてきているのだ。
 そう考えていくと、ダダイスムやシュルレアリスムのあらゆる実験も、写実主義をベースとした表現形式の中で行われた革新運動であった事も明白となろう。
 純粋抽象的なフォルマリズムも実はそのベースには全て具象性、写実主義形式が横たわっていると考えてよいのだ。それは現代アートのインスタレーションへも当然の如くエッセンスを伝えている。最近では星田大輔の隅田区での仕事でも言える。其処では極めて精緻な美的色彩照明感覚に拠るインスタレーション仕事が行われていたが、それは時限爆弾を仕掛けるテロリストの密室作業に近い感性の制作現場を彷彿させるものであり、都市空間の一コマをより繊細な美的感性で密室的空間に設置した仕事であった。
 しかしこの星田のインスタ仕事に観られる現代アートのスピリットは明らかに葛飾北斎の持つ見立て空間からも影響を蒙っている。つまり江戸後期から現代迄通底する日本絵画空間見立て形式が其処に見出されるのである。
 一方では現代アートは近代アートの持っていたサロン性への批判体としてアートディーラーの支配圏である処のギャラリーシステム、ニッチ的なマーケット至上主義への批判体として機能しているが、同時に其処にはサロン確立過程であったバルビゾン派以降の近代絵画の持つ実験精神自体を懐古的にも蘇らせてみせるという反映精神も漲っているのだ。
 そしてこの現代アートのインスタレーション仕事のベースには、近代アートを経過してそれ以前からの物質的美主義がある。オルセー美術館展ではマルセル・モンティセリの<白い水差しのある静物>、或いはエドゥワール・マネの<婦人と団扇>がより油彩画の持つオイルをたっぷりと御汁描きしたてかてかと光った絵具メディアの物資的感性が炸裂している。この点では乾いたセザンヌの静物画には無い硬質感が漲っていた。つまりこの物質的美主義は近代タブロー絵画から現代アートのインスタレーション、例えば原口典之のカッセルドクメンタ77以降の<物性>の一連の仕事(廃油<重油>をプール状に平な箱に満たしたインスタレーション仕事)の美的感性へと継承されている。当然時代的に原口世代(原口は1946年生まれ)から星田世代(星田は1983年生まれ)へと引き継がれている。(つづき)