セザンヌ 牧歌 1870

セザンヌ 牧歌 1870

Tuesday, November 19, 2013

第五十一章 エロスと虚栄心/通信傍受社会から読み取れること② 孤独に弱くなっている現代人類、そして国家No.1

 現代人類を決定的にある方向へと大きく舵を切らせたのがウェブサイト利用、つまり通信手段としてのネットコミュニケーションを世界中に張り巡らせたことだ。しかし一見人類がウェブサイトを獲得したことで、孤独に強くなったと思えるのは表面的な見方で、その実却って孤独に弱い性向を助長させた、と言える。何故なら一人で居る時もネットを通して誰かしらとコミュニケーションを取ってしまっているからだ。人と会う以外では一人で居る時はTVを見るか、本を読むかしかなかったかつてと違って現代では対話さえネット上で可能となったからだ。
 そのことは個人の中でどうメッセージを示すかという虚栄心を膨張されもしたが、その事実はこと個人の行為だけでなく、個々人の集合体であるあらゆるコミュニティへも、そして国家自体へも波及していったと言える。世界の通信傍受システム開示に最も貢献したアメリカ合衆国自体が最も孤独への恐怖に打ち震えていることは、ドイツのメルケル首相への通信傍受が問題となり、国際問題化したことに拠っても証明されている。あらゆるウェブサイト関連のコングロマリット(アップルを頂点に、マイクロソフト、グーグル等)自体が人類の孤独への弱さを企業全体で体現させてしまっているという実態にこそ、企業であれ世界防衛システムに於いてであれ、アメリカ合衆国とアメリカ巨大企業が孤独への恐怖を率先して示してしまっているという現況が語る。
 孤独に弱いのに、あたかも孤独に強い様に他者へ見せる虚栄心こそが現代の世界防衛と通信傍受システムのスキル最前線を担っているアメリカのウェブ関連のコングマリットである。そこではサイバースペースへ関わる一日の時間配分が大きければ大きい程エロス的コンタクトを失っていくが、その喪失を世界中の市民が共有しているという実感を得る為にこそアメリカ合衆国のSNAの活動とウェブ関連企業の市場独占的リアルがある。つまり一見ウェブサイトの世界制覇が世界中の市民が最大のコミュニケーション利便性を得ている様に思えるも、内実的にはアメリカ合衆国とアメリカウェブ関連企業の越境性の中にアメリカアズNo1のプライドとその実現に世界中のシステム進化の必要性への焦りが総動員され、アメリカ人の孤独恐怖感情に世界中が付き合わされている(カナダもフィンランドも日本も韓国も中国も)というリアルは否定し難い。
 権力の頂点に君臨するということは、国家であれコングロマリットであれ、巧妙に支配者が最も孤独に強いと思わせ、その実その権力者の欺瞞的責任倫理が丸事世界市民を巻き込むという図式が仄見える。要するにアメリカの孤独解消法に世界中が付き合わされてきたと言える。それは中国国内でチベット民族やウィグル民族が漢民族による共産党本部と人民解放軍の孤独解消法に付き合わされているのと構造的には同じである。
 虚栄心は個人内部である内は、それ程周囲に大きな影響力を持たないが、集団化されると民族にせよ、国家にせよ、企業にせよ、巧妙にその全体自体が孤独を感知しているという事実を隠蔽する様になる。その巧妙な正義的理由に世界平和とか世界治安のテロ撲滅の意図が供せされていると解釈すべきである。勿論オバマ大統領一人の権力と指導に拠ってもそのリアルがどうなるというものではない。
 SNS過剰利用に拠るネット空間でのいじめが各国で顕在化しているが、同じことが集団、民族、国家全体の中でも個人の虚栄心がシンボル化された巨大なパワーで世界を制覇しつつある。そして厄介なことには集団化された虚栄心が最も観念的正義のメッセージとして常套化されやすい、ということである。エロスの喪失はウェブサイト上でのコミュニケーションの多用に拠って明らかであるが、その病的な依存自体がどの個人に於いても共通した経験である様にどの国家、企業でも共有されているのだ、という歪な安心感が世界のウェブサイトコミュニケーションに拠って証明されている。
 精神的なリアルに対してインポテンツ化しているというリアルだけが世界市民に共有されている、という訳だ。ヴァーチャルである時間を多く共有するというリアルだけであらゆる宗教、宗派、政治信条の違いを超えて世界が一つとなっているという歪な実感に現代人類は脆いが、絶対的なある歪な安心感を得ている。この安心感がスピリチュアルな危機であるという危惧自体をネットコミュニケーションの利便性が成立し難くしている。いいじゃないか、世界がどんどん便利になっていくのだから、という訳だ。
 しかし世界全体がアメリカ化された社会を望んでいるのでもビヴァリーヒルズでの生活を望んでいる訳ではない。ブータン人も中東の多くの国民もアメリカされた文明を理想としている訳ではない。と言ってウェブサイトコミュニケーションは共有したい、その事実こそがスピリチュアルな危機の到来に耳も眼も塞ぐというリアルを作っている。
 現代人類の共有価値とはとりもなおさず世界では様々な文化差、生活習慣差があるにも関わらずそのある種絶対的壁を一瞬ウェブサイト利用では忘れられるという奇妙な幻想を世界中で共有し得るというリアルとなっている。しかし利便性が向上進化すればする程その絶対的壁は不動のものであると我々を実感させる。言語の違いもそうである。しかしその事実を忘れたいと願う心理こそがアメリカアズNO1とアメリカコングロマリットの恒常的世界支配を許す結果となっている。
 ジュリアン・アサンジもエドワード・スノーデンもそのリアルへ楔を打ち込むことで、アメリカ合衆国やアップル、マイクロソフト、グーグルの世界市民への共有幻想と対となり得るもう一つのリアルを世界中へ共有させている。この二項対立は恐らく今後三百年はずっと延長されるのではないだろうか?
 エロス的対人関係をネット利用に拠って世界中の市民が喪失していることに於いてのみあらゆる文化差を超え得ると幻想すること、そして孤独へ絶対的に弱くなって一人で他者と多くネット利用時間帯に繋がっているという実感を得ることで、文化差、生活習慣差を嫌が上でも実感することを回避しようとしていることが、アメリカ合衆国のSNAとアップル、マイクロソフト、グーグルを個々人が凄く孤独へ弱くなっている人類の性向を各人全てが忘れたい願望に拠って巨大化させている、ということは現代人類の決定的な精神的ベクトルである。
 国家、民族、コングロマリットの決定的性格とは、その巧妙に個々の成員の虚栄心を代表し、暈し、それ自体の実はかなり孤独に弱いという欠陥を巧妙に隠蔽する装置である、ということを我々一人一人の市民が実は覚醒しているにも関わらず誰もその決定的事実に触れたがらないということに現代人類の精神的病理の性格が如実に顕れていると言うことが出来る。(つづき)