セザンヌ 牧歌 1870

セザンヌ 牧歌 1870

Sunday, December 6, 2009

第二十章 個人の行動の自由と犯罪、社会自体の在り方の価値

 端的に麻薬、売春といったことはそれ自体憂えるべきことかも知れないが、もしそういった一切の犯罪を抑止することだけを至上目的とするのなら、いっそ資本主義社会、自由主義社会を全面的に撤廃するしか方法などない。端的に北朝鮮のような国家では国家が国民一人一人の行動の自由を保障していないのだから、逆に行動の自由の行き過ぎによる犯罪も起こり得ようもない。従って一切の自由もない。全てを統制的に国家が管理しているからである。だから我々資本主義陣営の国民にとって覚醒剤とか売春、買春といったものがたとえ憂えるべきものであったとしても、中国のように麻薬を所持しているだけで死刑に処せられるという現実自体にはある種違和感を抱かずにはおれないだろう。
 だから生真面目一本のイメージである経済学者が痴漢行為をして地位を失墜したり、清楚なイメージが売り物のアイドルタレントが覚醒剤で逮捕されたりするようなニュース自体に一喜一憂するような社会世相自体は未だ国家によって全てが管理されるような状態からすれば如何に憂えるべき状況であっても救いがあるのである。
 端的に殺人をも含めた個人の激情やら個人の自由放埓への貪婪な欲求によって引き起こされる犯罪の全てが仮に発生し続けていたとしても、それら一切の犯罪が起こり得ようもない社会が存在することに比べたら未だそれらの方がずっと好ましい状態である、と判断してもよいのではないだろうか?
 確かに自由主義経済が金銭的経済力を主軸とした勝敗やら、格差を極端に生み出し、賄賂などが横行していくこと自体は確かに憂えるべき事態であると言えるが、それでもそのような社会には未だ公正であるとか、不公平に対する権利主張とか、社会全体の弱者に対する保護を主張したり、あるいは新たな起業の人材を発掘したりするような気運を生み出す土壌自体は確保されていると言ってよい。しかしもし仮に一切のそのような投機的行動を慎む一切の競争の不在な管理統制経済、管理統制政治しか成立しない社会であれば、それこそ人間精神は自由も創造性も一切が失われるだろう。
 だから最年少の年齢で首相に着任した人が一年程度で政権を放り出したことで国民がその後の与党の成り行きに憂えたとしても、尚完全独裁国家であるよりは遥かにましである、とそう考える人の方が多い筈だ。だからこそあの時も全く自民党の支持者層に対しては失望感を与えたけれど、それでも民主主義が一応機能していることはしているのだ、と考え直した人も大勢いた筈だ。つまりあまり与党が無策であればいつか政権を交代させてやればいいのだから、とそう開き直ることが可能なように社会を見ることが出来るということである。
 つまり資本主義社会とか自由主義社会につき物の弊害として麻薬や売春、賄賂といったものさえ、それらを一掃するためにあらゆる行動の自由、職業選択の自由を奪ってもよいなどと殆どの市民が望んでいない。と言うことはそれら社会の弊害でさえ必要悪として容認したままでいようという認識をどこかで必ず全ての市民が抱いている筈である。従ってそれらの弊害をニュースソースとして提供する容疑者全般に対して、そういった存在全てが皆無になっていくよりは、四六時中そういう容疑者のニュースばかりでも困るものの、そういったニュースさえ皆無であるよりはよっぽど時々そういうニュースがあってくれるくらいの方が社会の自由が実感出来ていいと考えている市民の方が多いということが通常の資本主義、自由主義社会における市民による社会自体の在り方の価値基準なのである。
 つまりあらゆるネガティヴな事件の報道に対する熱狂自体には必ずこの前提が付帯しているのである。だから我々はこう言うことが出来る。一切の行動の自由を奪ってまで賄賂、談合、不正入札、裏口入学、売春、買春、覚醒剤売買と使用が消滅させたいなどと誰も思わない、そしてそういった一切の資本主義社会が発生させる悪さえ成り立たないような不自由な社会になど生活したくはない、ということなのである。いやそれどころか我々は建前上ではそれらを批判しながら、時々そういうニュースが飛び込んで来ること自体を密かに期待し、胸をわくわくさせてさえいるのである。事実ここ数年のことを振り返ってみてもライブドアショックなどの時に様々なM&A用語を覚えたのだし、風説の流布にしたって、そういった事態の一切ない社会の退屈さに既に我々は耐え得るのだろうか?そんなことはあり得ない。私たちは現実にはあらゆるえげつない好奇心まで満喫させてくれるだけの刺激のあるトップニュースを常に期待しているのである。そしてそのような好奇心を充足させてくれるメディアを飼い馴らしているとそう実感し得る社会で生活すること自体に、行動とあらゆる行為選択の自由を保障されている、と実感し得ているのである。

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