セザンヌ 牧歌 1870

セザンヌ 牧歌 1870

Wednesday, January 6, 2016

第七十三章 言葉は作られるPART2 日本語接合語(爆~)の応用の仕方から読める驚嘆感情への向き合い方2

 1980年代後半以降定着した語彙は(空爆)だ。これは冷戦終結と共に連合軍、つまり英米仏等に拠るイスラム教文化圏の独裁主義国家やその内乱等へ行われてきた。アフガニスタンに侵攻したソ連への抵抗から生み出された語句だった。
 日本ではそれより早く(爆発的ヒット)(爆発的売れ行き)等の語句も多く使用される様になった。これはかなり昔から言われてきたが、恐らく70年代以降定着した言い方だろう。当時の日本は高度成長が極まった時期であり、だが70年代後半から低成長が叫ばれる様になってきた。
 2015年の流行語大賞が中国人に拠る(爆買い)だったのも凄く興味深いけれど、この語彙はそのことで個人経営の店舗等が一兆円以上の収益を上げたことで定着していったが、この様に日本語では既に(爆)を使用する何のためらいもない。空爆と今では言うことが大半だが、太平洋戦争中ではこれはあくまで(空襲)だった。これはだから太平洋戦争の一般市民への無差別攻撃に対してのみ使用される永久欠番的な語句である。
 似た感じの言い方は70年代の池波正太郎の時代劇<必殺仕掛け人><必殺仕置き人>等のシリーズに於ける(必殺)である。これも殺し自体は悪であり忌むべき意味だけれど、それを敢えて使用することで緊迫感を出す一つの言葉の工夫である。でもこの語彙も先に(必死)という語彙があったればこそ発想し得た語彙とも言える。
 つまり否定語や忌み語として使用される語彙を敢えて接合させることで、その臨場的切迫感を出すのは語彙の作り方としては常套手段と言える。 因みに接合されている必は(必見)、(必勝)、(必定)、(必然)、(必聴)、(必読)、(必要)、(必用)等で使用されるが、それをしなければかなり損失するとか、そうでなければ可笑しいという合理を畳みかけて、印象付ける役割の接合語だ。
 これ等のことから価値は是や正とされることでだけ構成される・させるのでなく、非や誤、善だけでなく悪との接合で構成される・させるものだと言い得る。
 (爆弾)(爆薬)はあくまで軍事目的且つ産業目的のものだし、(自爆)は自決や自殺同様異常決心を示す語彙だが、(爆)がそれ等に於いて使用されていることを承知で敢えてそれを日常的な心理に置換させて使用されている(爆笑)(爆発的ヒット・爆発的売れ行き)等はそれ自体肯定的な意味合いなので、否定的な印象を植え付ける語彙を敢えて使用することで、逆説的にその反転した価値を印象付ける目的が我々には暗黙の内に認められていると言うことが出来る。
 今日正に北朝鮮が四回目の核実験を行い、それを水爆実験成功という形で北のテレビが放映した。爆という音の不穏さ、不気味さが原爆、水爆等の語彙が齎していることは確かだが、日本語では爆笑・爆発的ヒット等の語彙が消滅する事は無いだろう。自爆テロと水爆が現況で最大の不安を掻き立てているが、言葉をネガティヴであるが故に逆利用する工夫も無くならず、そのことは我々の思考が常に最大級に避けるべき事態をも、観念上では想定させずにアイロニカルな説明論理を構築し得ない存在であることを教えてくれる。
 つまり我々は一方では自分は誰しも最悪の状況を避けたい思惑を持ちながらも、他者の幾分かはその被害に遭ってしまうだろうという憶測から、それを避けたいという形でアイロニカルに忌むべき意味の語を利用してしまうし、それを悪い事とは思わないのである。
 何故ならそういう風に極端なケースを想定することから想像されることを暗にそういった語を使用することで促進する様に説明論理とは成立しているからなのである。説明論理とは最悪の残酷的状況をも含ませ示すことで説得力を醸成させているのである。

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