セザンヌ 牧歌 1870

セザンヌ 牧歌 1870

Wednesday, July 30, 2014

第六十二章 アート史に観られる価値転換と哲学思想Ⅱ

 現代アートが哲学化せざるを得なかった事の理由の一つは前回述べた様に明らかに第一次世界大戦等の戦争や世相的な事であるが、もっと根源的な理由もある。それは前回後半に述べた現代アートが固有のテクネを必要としているという事と大いに関係があるのだ。
 実はアート史的に色彩的な黒が重要な意味があるとも前回述べた。それは前回例として挙げなかったマティスの師であるギュスターブ・モローや、オディロン・ルドン、ホドラー、ホイッスラー等の心象構想画家、風景画家、肖像画家にも脈打っている一つの傾向である。印象派以前の絵画であるなら影やくすんだ色彩を再現する為にのみ黒という色彩は使用されてきたが、この近代バルビゾン派以降の絵画では次第に(バルビゾン派の絵画自体は其処迄の意識ではなかったが、ミレーには黒を色彩として理解するという意識があった)黒を固有の色彩として理解する感性が自覚的無自覚的に関わらず顕在化されていく。
 ショッキングなくらいに美しい鮮やかさを示すエミール・ノルデの絵画では水彩の花の絵でも黒はそれ自体の色彩として登場するし、ムンクも固有の不安感を示す為に黒自体が重要な要素として使用されている。
 ある意味で近代的salon自体を印象派が確立したとすれば、そのsalonの終焉を謳ったのがマルセル・デュシャンの<階段を降りる裸婦>だったと言えよう。
 デュシャンの絵画史の終焉を近代的salonの終焉として認識したアートクリエーションモティヴェーションの一つの時代的メインイヴェントであるとすれば、それはマーラーに拠る交響曲の究極という意識にある意味では近接しているが、その近代史的なカーテンの幕引きをパロディ的に扱ったのが文章家としてはワルター・ベンヤミンだったと言える。複製芸術へと展開されるポップアートのウォーホル的アートを予感する様なテクストをベンヤミンは書いているし、<パサージュ論>はフランス革命以後の市民生活自体を退廃的空気の中から読み取って戦争へ突き進んでいく時代の世相を予感させている。
 そしてアート史に於ける根幹の意識転換とは、実は聖書読解的絵画、宗教絵画系譜的な聖書解釈からアート自体が解放される事に拠って、内面性とはあくまで宗教戒律的なモラルに限定されていたのをドラクロア(彼の登場がマネの革命的モティヴェーションの醸成に大いに啓発している)等の登場が市民生活の市民性を主眼としたアーティストの眼差しが王侯貴族やブルジョワ達パトロンの存在を超えて、よりメッセージ化されたアート空間を現出させた。そしてその際にまず目に見える実際の風景がバルビゾン派に拠って再認され、次第に印象派に拠って色彩の乱舞を主張する様に展開し、ナビ派等に拠ってよりデザイン性や商業主義的ファッション性を獲得し、それはアールヌーヴォーとアールデコに拠って頂点に達した。
 しかしそれらはあくまでニーチェの<悲劇の誕生>での分類からすればアポロン的なものであった。マネもぎりぎりの線でアポロン的アートの前提に於いて、しかしこういう主題があってもいいというチャレンジとなっている。しかしナビ派位迄でそのアポロンゲームは終了し、今度は野獣派等に拠りディオニソスゲームへと移行していったのだ。
 そしてそれに輪をかけたのが第一次世界大戦とダダイスム、シュルレアリスムであり、それは現実や自然の模写であるとされたアートをより、ニーチェの言う夢の世界の復権(それを臨床精神医学的に展開させたのがフロイトであるが)を意味づけたのである。
 従ってシュルレアリスム登場以降の絵画史では全てのアーティスト達にリアル世界、モネ的肉眼で見える世界の模倣や描像という意識から、眼には見えない、認知科学的に言えば脳内の、詩的に言えば心の世界がリアル世界を変えていくという意識で絵が描かれる様になっていくのだ。それはアポロンゲームオンリーのコミュニティにディオニソスゲームの加入、そして寧ろそちらの方が主体化していくムーヴメントとして現代アートゲームを俯瞰する事が出来る。
 そのディオニソスゲームの中でディオニソス自体が否定されるべきものではない形でのディオニソスゲームの中で現代なりにアポロンを志向する慰安はヴィジュアル的に可能か、と問うた時に、それならエボナイト等の特殊な塗料や塗装方法に拠って可能ではないかと提言した最初のアーティストであるジョセフ・アルバースはナチスからの迫害を恐れアメリカに渡ったドイツ人だった。彼の登場がアメリカンアートにもその後の戦後アートにも例えばゲルハルト・リヒター、アンセルム・キーファー、ジャン・ミッシェル・バスキアやキース・ヘリング等に拠るストリートアート等も含む多くのディオニソスゲームの中でのロゴス化、アポロン的メッセージを模索するムーヴメントを構成させる事となった。
 ポロックやデ・クーニングの世代ではよりアポロンゲームからの離脱の中で主題の模索が為されたが、バーネット・ニューマンの登場(その前哨戦としてのマーク・ロスコーの登場)がよりディオニソスゲームは既に始まって渦中にあるけれど、その中で現代に固有のアポロンとは何ぞやという問い掛けになっていき、アルバース、ケネス・ノーランド、エルスワース・ケリー、ロバート・マンゴールド等に拠るディオニソスゲーム時代に於けるフォルマリズムの模索、そしてその中でのモーリス・ルイスの絶対的な色彩と空間の平面上でのインスタレーションという意識が、より造形的ヴィジュアル像だけでない形での時代メッセージをアンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、クライス・オルデンバーグ、先述のバスキアやヘリングをメッセージ性というアート史上のアートレゾン・デ・トルの返答として続々とクリエイターが輩出させていったのが二十世紀アートだったと言える。よりコマーシャリズムとファッションともコンタクトを採ったのがウォーホルであり、彼の思想を文章化させた思想家こそマクルーハンだったと言えよう。
 20世紀芸術の基本はその時代的必然的な展開の中でこそ理解されるべきで、自然の模倣をダイレクトに受け取っていた19世紀印象派登場迄をアポロンの無対話的時代、それ以降野獣派迄をアポロンゲームの中でのディオニソス獲得の時代、シュルレアリスム宣言以降抽象表現主義終焉迄をディオニソスゲーム(その先鞭としてカンディンスキーやクレー、バウハウス等のムーヴメントがあった)、ポップアート以降、同時代に並行して動いていたフォルマリズム等を含めディオニソスゲームの中でのアポロン性の獲得に費やされたそういった展開の中で登場してきた、と観てよいだろう。それはダイレクトに自然の模倣を信じられなくなっていき、そのprocessの中で実は宗教絵画も又18世紀や19世紀迄だって、結局それ迄の時代の内面の正統であったのだ、として位置付けていき(その近代迄の絵画精神を内面性の伝統として現代で解釈した日本のアーティストは難波田史男である)、現代はその時代と文化支配者層、指導者層からの共時的要請からでなくアーティスト本人の内発性に拠って提示していくメッセージとなっていくプロセスが此処三四十年の全世界的ムーヴメント(あらゆるヴィエンナーレやトリエンナーレを開催する事を常時とする)に観られるアート史の精神的様相であると言ってよいであろう。

No comments:

Post a Comment