脳内快楽的ゲームはリアルが深刻な核戦争とかであるなら桃源郷を希求する我々の心理を擽るものへと進化するだろうが、其処迄は行かず(それを実現させてしまったら、広島、長崎の再現となって人類自体が物凄く大きな後悔を味わうと誰しもが思っているから)しかし常にその一歩手前迄なら外交ゲームで展開していってしまう常にスリリリングな危機触発一歩手前性だけは享受することを全人類が了解し、その18世紀や19世紀初頭的な牧歌的な過去への引き戻せなさを何処かでは密かに憂えていて、そのリアル自体に狼狽える我々にとって、ディヴァイスとツール利用自体がウェブサイトを通した唯一の日常的な利用、寧ろもうウェブサイト自体に我々が酷使されてしまっている様な生活習慣を我々が了承してしまっているのだ。 余りにもこのウェブサイトを通したディヴァイスとツールゲームがリアルタイムでリアルであるが故に、それ以上に観念的なリアルに対するシンボライズ的処置、抽象的理解から齎されるリアルへの反省的意識を掻き立てる脳内快楽ゲームというフィクションさえ、牧歌的なものからより強烈な印象のものを提供することへ全体的には移行していってしまう。河原温の初期ドゥローイングはまさにそういった右往左往する古の感性をどんどん剥奪されてメカニックなマシーンに酷使される日常を嘲笑する視点を既に50年代に予感した絵画表現を鉛筆をメディアとして利用して提供していた。そして河原の想像通りの社会が実現してしまっているのだ。 勿論日本映画は『寄生獣』(山崎貴監督・VFX)的なものだけがメインストリームではない。当然『くちびるに歌を』(三木孝弘監督)の様なものも上映されている。一方では映画テクノロジーを最大限に駆使し、古典的な愛をテーマにしつつもスリリングさを観客に提供するかと思えば、他方では青春の群像を素朴に提供する。しかしその双方はやはり決定的に現在時点の人類の不安に拠って掻き立てられている。つまり不安除去という脳内装置への処方が旨となっているのだ。それは映画を鑑賞する観客自身が一番よく知っている。つまり一旦映画館を出たら、其処では無数のウェブサイト上での情報送受信が行われていて、電波が世界中に飛び交っていて、その忙しさ(busyness)が我々の認識をより常に意識レヴェルでも最上級の緊張状態(それを日本人はテンションtensionという語彙の頻繁使用で示している)を維持し続けなければいけないし、そういうリアルに引き戻される事を我々は知っているからこそ、一時映画に逃避するのだ。映画がメッセージであった様なATG映画全盛期の70年代の世相や時代全体への批評精神は寧ろ今ではすっかり反体制性を剥ぎ取られ、寧ろ積極的にウェブサイトビジネスに拠って世界中がツールとディヴァイス利用幻想であたかも疑似一体化していく人類の共時的な同時代性を共有する幻想を益々納得させる為の装置に表現全体が転換していってしまっているのだ。其処では共同体的な幻想は益々磨滅させられている。 私は何もそれを憂いている訳ではない。寧ろ70年代的幻想が実は世界の何も変えなかったということを寧ろ現代映像表現のウェブサイトビジネス展開する世界的共時性の太鼓持ち的存在の仕方自体が証明してしまっているからだ。だから映画監督達がある種の職業的幻想を持ち得たのはせいぜい80年代迄で、それ以降は『PARTY7』を監督した石井克人監督が示した様な過激なメッセージ性を通過した2000年辺りから徐々に映画はリアル共時世界の反映体でしかあり得ないと諦観を積極的に示し始めた。それから15年が経った。今や河原温の浴室シリーズをはじめとする初期ドゥローイングで描かれた犇めいて蠢き存在する日常生活者達が<密集>という自己身体とウェブサイト双方から雁字搦めで剰余を剥奪された日常それ自体に積極的に快楽的に臨んでいるというリアルをその侭提供する表現へと、所謂監督のヴィジョンを思想的に提示する世界への映画批評性から離脱して、益々リアルな反映体へと転化してきている。 フィクションはあくまでフィクションであった時代は80年代迄で終了し、それ以降人類は寧ろゲームソフトの持つスピード感と編集的なカットバック切り換わり感が前面に押し出された様なタイプの時間感覚の映画がメインストリームとなってきた。それはフィクションを離れた時にウェブサイトが提供する情報送受信性それ自体へ円滑に引き戻る事が容易である様に取り計らわれた配慮の映画内容であり、製作意図の表現なのである。だから私は映画はリアル世界の反映体を積極的に担う様になってきたと言ったのだ。 フィクションは今やリアルに対する観念的な脳内快楽のゲーム等ではなく、それ自体も一つのリアルなのだ。つまり70年代や80年代に映画表現自体に文化的可能性を感じ取っていた人類は、寧ろそれは幻想で、文化に等なり得ようもない、そもそも文化自体が安穏と成立可能なリアル等では既に無いという事実だけを覚醒させる装置に映画が転化してきたのだ。 今回は映画をメインに述べてきたが、次回は文学に眼を転じてみよう。しかし恐らく文学も文化それ自体を安穏と享受する心の余裕を失い、完全にリアル情報送受信ゲーマーとしての人類成員意識を覚醒させる事に役立つ装置へと転じてきていると証明することとなろう。ほのぼのとした心理で映画を通したヒューマンなほっこり性を味わうという時間的ゆとりを与えないタイプの娯楽装置を提供する映像ビジネス自体が恐らく文字表現も大きく変化させてきている、ということに我々は気付くであろう。 付記 映画をよく登場させてきたのもどうしても現代文学の持つ特質を理解する為に映像文化全般の方向に就いて触れずには居られないからであるが、今回は爪楊枝愉快犯の少年逮捕のリアルから触発されて記事を突発的に書いた。つまり映画的リアル(フィクション)とリアルの境界への確固たる認識を喪失して映画的リアルを現実化させてしまう愉快犯少年を生む時代が逆に映画の性質を決定している、という世界批評的映画理性の消滅と、ダイレクトなクリエイターのリアル反映的リアルを今回は示したつもりである。(Michael Kawaguchi)
Saturday, January 17, 2015
第六十六章 時代は作られるPart3
フィクションは観念的なリアルに対するシンボライズ的処置であり、抽象的理解から齎されるリアルへの反省的な意識を掻き立てる脳内快楽的なゲームである。
だがこれ程現代社会はメディアとツールとディヴァイスの氾濫がリアルに実現すると、今日逮捕された爪楊枝で商品を悪戯したり万引きしたりする愉快犯は道具利用の快楽、つまりスマホやメガネ型カメラ等の使用そのものの快楽の為にだけ為される犯罪が多発していってしまう一つの犯罪例でしかないという感じを誰しも抱いてしまう。これはグリコ森永事件等の勃発を許してしまった日本社会の一つの必然的な展開である。
Sunday, January 11, 2015
第六十五章 時代は作られるPart2
20世紀は明らかに前半の二つの世界大戦の人類の経験に拠って文藝活動は概ね空虚さをテーマとしたものだったと言ってよい。サミュエル・ベケットの<ゴドーを待ちながら>は二人の男がゴドーを待っているのだが終ぞ彼は来ない。又サルトルの<存在と無>では死に拠って全てが奪われてしまい後には何も残らないという形で神の不在を徹底的に示していた。アラン・ロブ・グリエはアンチロマンという形式で小説の持つロマン的性格、つまり希望を持たせる様なハレ的な何物も期待させず、起承転結ではない無展開性を示した。それは彼の映画でも同様である。又ゴダールは即物的日常の中で突如挫折し死ぬ人間の像を映像化した。それはとどのつまり全ては空虚であるという世界観に彩られている。それは戦争の世紀に拠り何時突発的に死が到来するか知れたものではないという感性に拠って正当化された表現なのだった。
キューブリックは<時計じかけのオレンジ>で暴力が日常に於いて潜在的に巣食っている様を描いたが、それは未来への希望を打ち砕くと言うより、寧ろ夢や希望が成立し得ない日常を引き受けようという姿勢の方が鮮明化されたスタンスの映画哲学だった。
現代アートは日本では具体美術協会がモダンアートムーヴメントの仕掛け人となって、後にフルクサス運動の一環としても認識されるハイ・レッド・センター(高松次郎+赤瀬川原平+中西夏之)のイヴェントの連鎖が不在ということを炙り出した。不在はサルトルが<存在と無>で示した命題でもあった。とりわけ高松は影のシリーズで影とは遠近法的に我々の身体等の実在が遠ければ小さく見えるのと正反対で遠くなればなる程大きくなっていくつまり逆遠近的現象であることで、実在に対する鏡の像の関係があり、その非実在的リアリティが実在の充実より充満している反転現象を図式化した。此処でも空虚ということがクローズアップさせられていた。
アンディ・ウォーホルがシルクスクリーンでコカ・コーラの瓶をあしらって油彩画にしたりして、巨大な紙の平面に転写させた時反復される商業資本主義のコピーであると同時に、主題とか命題といった大仰な正統性への明らかな疑いが其処には介在していた。此処でも存在の充実であるよりは、機械的に流れ作業的に反復されるイメージをダイレクトに提示する事で空虚感を醸す効果を作っている。それは退屈さ、最大限に文学的にしてみたところでせいぜい倦怠的な充実しか作れない世界像である。
つまりそういった一連の20世紀文藝の様相とは明らかにアンチ的なメッセージなのだった。否定の美学、肯定への極度の懐疑が20世紀芸術、文学、演劇、映画等の底流にある精神なのだった。
だがそういった時代から早80年代辺りを境界にして30年以上が経過して21世紀も徐々に中盤へと近づいてきている。そして21世紀とは前述の20世紀的な空虚を如何に乗り越えるかを人類全体が模索する時節にあると言ってもいい。
勿論世界はそれ程悠長な文化的香りに満たされている訳ではない。様々なイスラム原理主義テロリズムが世界中に横行している。つい先日もフランスのジャーナリズムが標的となった。アメリカ合衆国大統領オバマ氏はフランス支持を敢えて訴えた。存在の空虚さ自体が一種の欧米先進国の特権的なロマンであるという事を見せつけるかの如く群雄割拠的なイスラム原理主義テロリズムは十歳の少女を強制的に自爆テロ犯に仕立てあげる程の残忍さを示した(ボコ・ハラム)。
欧米先進国は今日のウェブサイトが世界中を張り巡らされた時代に秘密裡に各原理主義グループが連絡を取り合っている事を想定しているし、純朴に彼等に対して欧米先進国への経済力的な格差の不満をぶつけているとだけ思っている訳ではない。ことはイスラム教とキリスト教へと分派していったユダヤ教旧約聖書に示されている古代史の流れの中に既に現代のイスラム教原理主義対欧米先進国の表現の自由という対立は兆していたとさえ言える。宗教戒律的な対立は資本主義とか自由主義とかいった経済社会的秩序を嘲笑うかの如く根の深い対立を用意する。つまりどの国のどの民族として生まれてこようとも誰しも決して自分の性別同様、生まれてきた国家や民族史的な背景を選択して生まれて来る訳ではない。つまり生まれた国と土地と民族を選んで生まれて来られる訳ではないのだ。だからこそその決定的運命の前では誰しも平等である筈である。にも関わらずその平等性は必ずしも宥和的でも友愛的でもなく、対立図式に反映されながら顕在化してしまう。
水の少ない土地で食文化から居住文化の全てを育んできたアラブ系民族と比較的容易に水が手に入る欧州とでは必然的に(勿論日本の様に常に清潔な水が容易に手に入る土地ばかりではないものの)生活感情的な齟齬は生じて来るのだ。砂漠質の土地と農耕に適した土地とでは育まれる宗教思想にも大きな違いが生じる。しかも常に経済援助をするのは欧米キリスト教圏であり、経済援助され、独裁国家が発生しやすい土壌にある中東国家群は欧米型の資本主義も自由主義も育まれてきた訳ではなかった。
世界の対立図式は斯様に双方で歩み寄る事を困難にしている。しかしそれでもウェブサイト自体は利用する民族を選ぶ訳ではない。イスラム教徒もヒンドゥー教徒も仏教徒もキリスト教徒と同様にそれ等の恩恵を被る。しかしイスラム教原理主義過激派に対して対決姿勢を鮮明化させたアノニマスは明らかに欧米キリスト教圏の人達に拠る営みであり、その参加者にアラブ系の人が居たとしてもスタンスは欧米寄りである。この二重の世界の二極分離性はイスラム国に大勢の欧米人の青年も参加している事に拠って益々複雑化している。つまり生まれた国家や民族は選べないがイデオロギーや思想は選べるという思想だけで全世界が統一されているという事実を世界中に徹底化させた当のものこそウェブサイトであり、全世界に配布されている様々な日常的ツールとディヴァイスなのだ。
その点では20世紀のロマン主義的残滓でもある空虚さの表現は21世紀では余りにも既にリアリティという意味では実効性を欠いているのだ。何故なら20世紀文藝表現とはあくまで未来予想的な空虚さだったのに対し、現在の世界、つまり21世紀リアルとはその夢想を遥かに超えるシヴィアな残虐さとあっけらかんとして荒唐無稽な非理性性に彩られているからである。21世紀は既に全ての想念の実現可能性が、それも極めて残虐な行為をゲームソフトで見慣れ切ってしまった現代人の無節操さで加速化されており、既にユーターン不可能な地点に迄到達してしまっているのだ。中華人民共和国という国家としての存在も、シリア等の独裁国家群の存在も既にロマンを一切成立させない人類の欲望を実現化させてしまっている。何故アメリカ合衆国だけが経済的繁栄を享受しなければいけないのかは既にイラン革命でもメッセージ化されていたし、ソ連崩壊ロシア化された大地でもチェルノブイリ原発事故、そして合衆国のスリーマイル島原発事故でも世界中のエネルギー政策の一元化的なノー・ディヴァイス性の前で、既に空虚なロマンを表現世界で耽溺するゆとり自体に我々は全くのリアリティを喪失してしまっている。ある意味では具象画家であるフランシス・ベーコンの肖像画の顔の様に歪んだ知覚像の様にしか世界を見る事が出来ないのだ。それは希望とか展望とかより一層強烈なサヴァイヴァル的恐怖を人類に与えている。それが一方では9.11の同時多発テロとして、他方では自然災害として3-11の東日本大震災という形で、人工自然両面で展望よりサヴァイヴァル的恐怖を駆り立てる方向で全てを悪しく実現させてしまったのだ。
従って21世紀も中盤へ徐々に接近している人類にとってのリアリティは空虚ではなく、空虚ささえロマンティシズムの一端でしかないと思わせてしまった過酷な現実の中でどう文化的な営みを持続させていくべきかという剰余的な社会思想を全人類的規模で模索する時節に入った我々にとって真のリアリティとは余りにもフィクション的過ぎる嘘の様な現実だけに取り囲まれた世界で、どうフィクションの持つ実効性を取り戻していくかというダイレクトな表現のメソッドをゲームソフトに引率されてきたここ十数年的な回路以外にどれくらい豊かに創出し得るか、それは実践的な娯楽感性の復権の文化思想である、と言えるだろう。
だがそういった文化思想はやはり現代世界では経済動向とも無縁では成立し得ないだろうという予感だけは確実にするので、次回は世界経済の中で成立する文化思想、娯楽思想に就いて考えていってみよう。
Wednesday, November 5, 2014
第六十四章 時代は作られる Part1
前回のシリーズは再度アート体験を私なりに積み重ねた後に引き続き行っていくこととして、今回はそういった現代アートをも生み出した二十世紀を再度振り返ってみたい。
現代アートが戦後アメリカ社会でNYを中心にビジネス的に大きなグローバリズムの波を作った事は投資ビジネス等で巨万の富を得たジョン・ピアポント・モーガン等の存在を抜きに語れない。メトロポリタン美術館は彼の寄付等に拠って作られている。
しかしそういった財閥のパワーがアメリカアズ№1というステイタスシンボルとしてアートの理解者として君臨する事で、様々な現代アート運動が花開く事は、寧ろ財閥自体を多くの若者に拠るムーヴメントが自然発生的に沸き起こった事が触発したと言うに尽きる。つまり財閥が仕賭けたのではなく、財閥はそういったムーヴメントが沸き起こる予感と、兆候を読み取る事で利益を得ようとしただけであり、若者達が新たな価値に飢えていたという事実を見逃す訳にはいかない。勿論全ての若者がそういったムーヴメントに参与していた訳ではない。昨今京都大学の公安の警察官が集会に居て、集会を指示する学生達から逆に質問追及された事件が報じられたが、警察官や行政的任務に就く大勢の若者達も居る。従ってそういったムーヴメントは比較的富裕層の息子や娘達に限られていたとも今振り返れば言える。
彼等はアメリカではアイビーリーグ等と呼ばれる中流資産家の息子娘達であり、彼等の親の世代から独立しようという機運が色々なムーヴメントを後押ししてきた要素が強い。その中にはアートという特殊なニッチマーケットとは違ってもっと巨大なビジネスとなった音楽シーンがある。ロック&ポップスは未だに多くのファンを惹きつけているが、彼等ミュージシャンの動向がアートの様な特殊なスキルと表現メディアへも影響を与える。演劇や映画もそうだし、日本では特にマンガ等のサブカルもそうであり、アニメ自体が凄く隆盛を極めるのもアメリカではディズニー発であり、それを輸入した日本が手塚治虫、松本零士、宮崎駿、浦沢直樹等の天才達を世に送ったが、それ等全ての起爆剤として戦後民主主義の自由と平等のアメリカ合衆国理念発の若者のムーヴメントが在った。勿論ディズニーも手塚もその世代よりは上である。しかし自分達が仕事をして活躍する中でそれらのムーヴメントから影響を受けなかった訳がない。手塚で言えば「鉄腕アトム」の時期には既に公民権運動も激しくなりつつあったし、その事が後に「ブラックジャック」等の作品に固有のシニシズムを生む事となったと言える。
日本はよりアメリカのムーヴメントに敏感だったが、実は台湾も韓国もヴェトナムもそれぞれ(とりわけヴェトナムはアメリカと戦争をしたので、戦後はその経緯を踏まえ再建の中でアメリカの若者ムーヴメントに対してはそれなりの意識を持ってきただろう)固有のアメリカのスピリチュアルムーヴメントを咀嚼してきたに違いない。
しかしアメリカは先程も述べた様な巨大財閥が犇めく世界経済戦略の発信地でもある。その点では常に世界経済の牽引者としての地位と、そういったグローバリズムが齎す弊害へのシニカルな批判者が共存する地だとも言える。その点での屈折は日本では余り無いと言っていい。アメリカ程極め付けの階級社会的なものは日本ではない。全中流化、全小規模資産家的国家である日本では荷重な労働で精神的に疲労困憊しつつ自殺をしたりする例の方が多く、それは下級管理職に集中している。その意味では小泉構造改革が齎した負の部分が今もずっと燻っていると言えるし、自殺者の自殺率もアメリカより日本の方が大分上である(因みに韓国や中国の方がもっと上である)。
この一国内に世界経済の金融資本主義を後押しする保守層とそれを批判するインテリ、中間層の共存という常に捻じれた構造は先進国全般に固有の精神的屈折を生み、それが多くの若者のムーヴメントを後押ししてきた面もかなり強い。アメリカでは人種差別と戦争、そして経済格差が色々なムーヴメントを生んだが、70年代以降はそういったムーヴメントの牽引者達が巨大な資産家の仲間に入っていってしまい、結局音楽もビジネスとして完成されてしまったのだ。つまりモティヴェーションとは常に人間が若者から中年へ移行していく様な時の流れに拠って徐々に大きく変質していくし、初期のハングリー精神は徐々に磨滅していく運命に全ての表現者があった。勿論世界という事を射程に入れれば今年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの国パキスタン等では未だに男女同権ではないし、教育の機会さえ均等ではない。その意味ではかつてアメリカで沸き起こった文化的なムーヴメント(モンタレーポップフェスティヴァルやウッドストックコンサート等のサマー・オブ・ラヴやフラワーパワー、ヒッピームーヴメント)は今後東南アジア諸国で沸き起こっていくだろうことも間違いない。その一つの兆候は選出される議員が殆ど中華人民共和国の共産党本部の人達だという事で学生や市民がデモを起こしている香港が発火点になる可能性も充分にある。今後この香港の政治的ムーヴメントが台湾等とどの様な形で連携されていくかに拠って2010年代以降の文化ムーヴメントの将来がある程度決定すると言える。それは継続されていくのか、無残にも潰されてしまうのか、それは未だ分からない。しかし少なくともかつての文化ムーヴメントを担った人達が全員老齢化している昨今、音楽シーンも完全にビジネス化してしまっている(その発端はビートルズでもあるし、マイケル・ジャクソンに拠って決定的となったが)現代で、その中でどれくらいのモティヴェーションを構築し得るか、それは当然かつてのムーヴメントとは異質の時代性格と異質の根拠のものとなるに違いないが、それを担うのは既に若者も含めた全人類でもあるとは言えるだろう。
Tuesday, October 21, 2014
第六十三章 近代アートの市場性とそれへの批判体としての現代アートPart1
思想としてのアートと捉えると、どうしてもアート市場という事が問題となってしまう。だがアートは唯一思想的な想念を度外視して楽しめるヴィジュアルな娯楽であると、そう割り切っても決して間違いではない。その証拠にどんなに現代アートが逆立ちしたって、近代アート迄に人類が構築した遺産を超える事がなかなか出来はしないという事が意外と本当だからだ。
それでもでは何故我々はかくも観ていて心地よく豊かな気持ち、気分にさせてくれるアートを望み好むのかという問い掛け自体はアートへの思想という事にもなろう。
アートは心を豊かにさせてくれるヴィジュアル的な娯楽だからこそ、損得勘定抜きで観ていいものはいい、いいと思えないものは良くはないとはっきり個人の判断で言っていい世界でもある。そしてそれが唯一の基本的思想である。
昨今、オルセー美術館展、チューリヒ美術館展、82回版画展、HOKUSAIボストン美術館浮世絵名品展を立て続けに鑑賞した。美術の秋という事で、我々は比較的容易に首都圏に住んでいれば(とりわけ東京や横浜に行きやすいのであれば)いい絵画を鑑賞する事が出来る。
オルセー美術館展は印象派等を中心に近代アート絵画を堪能出来たし、チューリヒ美術館展は印象派以降のフォービズム、象徴主義、表現主義絵画を堪能する事が出来た。そして82回版画展では現代の創作版画の可能性の領域の広さを堪能出来、北斎展は名実共に世界的に偉大な一人の日本人画家、アーティストの作品世界を堪能出来た。
欧米西欧絵画には幾つかの表現的な形式がある。一つは写実主義、一つは表現主義、一つは形態美追求主義である。そしてそれ以外に物質的美主義だ。
セザンヌは初期、印象派に影響を受けていた中期、そして後期と三つの時代で異なった形式を踏襲した。初期は宗教神話性の強い表現主義、中期は色彩による形態美追求、後期はより中期以降の理念を徹底化させた形態美追求である。中期は色彩的な美から形態を追求したが、後期は色彩的彩度より形態間の相関的な抽象構造を追求した。
一般に形態素の抽象画家と思われているピエト・モンドリアンが晩年に到達した形態美は、しかし初期から行われていた宗教神話性の強い表現主義(実際のアートモードから言えば象徴主義的な)から徐々に形態美を形態素に拠り最小限の色彩の選択で行っていく形で晩年の境地に到達した。同じ様にセザンヌもモンドリアンより先にそれを行っていたのだ。つまり抽象絵画の父と呼ばれるセザンヌは実は絵画主題性を表現主義的に行う中で徐々に形態美、形態素抽象へと赴いていったのだ。
その意味ではブラマンクやムンク等フォービズト、象徴主義者である彼等は後期セザンヌより初期表現主義的セザンヌから啓発された部分が大きかったのだと思われる。セザンヌの三つの時期の代表作をオルセー美術館展で観る事が出来た。
更にチューリヒ美術館展ではとりわけセガンティーニ(象徴主義者)、ホドラー等の名作を鑑賞する事が出来る。ホドラーの絵画は風景を背景にしたエロス神話的な人物像(裸婦が多い)を配す構想画である。彼の描法は戦後アメリカの偉大な具象画家であるジョージア・オキーフへも多大の影響を齎しているものと思われた。実際に風景描写的描法は明らかにホドラー発オキーフ着の要素がある。そしてホドラーとオキーフは明らかに写実の系譜であり、セガンティーニもそうである。彼等以外ではマティスの師であったギュスターブ・モロー、そしてオディロン・ルドンもその系譜である。
もしセザンヌ初期もそれに加えるならマネもそうであるしルノワールもそうであるが、近代は現代フォルマリズム中心に見た時抽象画の時代だと思われているも、実際には写実に新風を送り込んだ時代だったとも言えるのだ。
又ゴヤの銅版画、ドーミエの石版画、マネの<草上の昼食><オランピア>の持っているアイロニー、風刺性、諧謔性も又絵画主題の形式により貢献しているが、これも写実主義の系譜と捉える事が出来る。風刺画やそのスピリットは写実主義に拠り具現化されてきているのだ。
そう考えていくと、ダダイスムやシュルレアリスムのあらゆる実験も、写実主義をベースとした表現形式の中で行われた革新運動であった事も明白となろう。
純粋抽象的なフォルマリズムも実はそのベースには全て具象性、写実主義形式が横たわっていると考えてよいのだ。それは現代アートのインスタレーションへも当然の如くエッセンスを伝えている。最近では星田大輔の隅田区での仕事でも言える。其処では極めて精緻な美的色彩照明感覚に拠るインスタレーション仕事が行われていたが、それは時限爆弾を仕掛けるテロリストの密室作業に近い感性の制作現場を彷彿させるものであり、都市空間の一コマをより繊細な美的感性で密室的空間に設置した仕事であった。
しかしこの星田のインスタ仕事に観られる現代アートのスピリットは明らかに葛飾北斎の持つ見立て空間からも影響を蒙っている。つまり江戸後期から現代迄通底する日本絵画空間見立て形式が其処に見出されるのである。
一方では現代アートは近代アートの持っていたサロン性への批判体としてアートディーラーの支配圏である処のギャラリーシステム、ニッチ的なマーケット至上主義への批判体として機能しているが、同時に其処にはサロン確立過程であったバルビゾン派以降の近代絵画の持つ実験精神自体を懐古的にも蘇らせてみせるという反映精神も漲っているのだ。
そしてこの現代アートのインスタレーション仕事のベースには、近代アートを経過してそれ以前からの物質的美主義がある。オルセー美術館展ではマルセル・モンティセリの<白い水差しのある静物>、或いはエドゥワール・マネの<婦人と団扇>がより油彩画の持つオイルをたっぷりと御汁描きしたてかてかと光った絵具メディアの物資的感性が炸裂している。この点では乾いたセザンヌの静物画には無い硬質感が漲っていた。つまりこの物質的美主義は近代タブロー絵画から現代アートのインスタレーション、例えば原口典之のカッセルドクメンタ77以降の<物性>の一連の仕事(廃油<重油>をプール状に平な箱に満たしたインスタレーション仕事)の美的感性へと継承されている。当然時代的に原口世代(原口は1946年生まれ)から星田世代(星田は1983年生まれ)へと引き継がれている。(つづき)
Wednesday, July 30, 2014
第六十二章 アート史に観られる価値転換と哲学思想Ⅱ
現代アートが哲学化せざるを得なかった事の理由の一つは前回述べた様に明らかに第一次世界大戦等の戦争や世相的な事であるが、もっと根源的な理由もある。それは前回後半に述べた現代アートが固有のテクネを必要としているという事と大いに関係があるのだ。
実はアート史的に色彩的な黒が重要な意味があるとも前回述べた。それは前回例として挙げなかったマティスの師であるギュスターブ・モローや、オディロン・ルドン、ホドラー、ホイッスラー等の心象構想画家、風景画家、肖像画家にも脈打っている一つの傾向である。印象派以前の絵画であるなら影やくすんだ色彩を再現する為にのみ黒という色彩は使用されてきたが、この近代バルビゾン派以降の絵画では次第に(バルビゾン派の絵画自体は其処迄の意識ではなかったが、ミレーには黒を色彩として理解するという意識があった)黒を固有の色彩として理解する感性が自覚的無自覚的に関わらず顕在化されていく。
ショッキングなくらいに美しい鮮やかさを示すエミール・ノルデの絵画では水彩の花の絵でも黒はそれ自体の色彩として登場するし、ムンクも固有の不安感を示す為に黒自体が重要な要素として使用されている。
ある意味で近代的salon自体を印象派が確立したとすれば、そのsalonの終焉を謳ったのがマルセル・デュシャンの<階段を降りる裸婦>だったと言えよう。
デュシャンの絵画史の終焉を近代的salonの終焉として認識したアートクリエーションモティヴェーションの一つの時代的メインイヴェントであるとすれば、それはマーラーに拠る交響曲の究極という意識にある意味では近接しているが、その近代史的なカーテンの幕引きをパロディ的に扱ったのが文章家としてはワルター・ベンヤミンだったと言える。複製芸術へと展開されるポップアートのウォーホル的アートを予感する様なテクストをベンヤミンは書いているし、<パサージュ論>はフランス革命以後の市民生活自体を退廃的空気の中から読み取って戦争へ突き進んでいく時代の世相を予感させている。
そしてアート史に於ける根幹の意識転換とは、実は聖書読解的絵画、宗教絵画系譜的な聖書解釈からアート自体が解放される事に拠って、内面性とはあくまで宗教戒律的なモラルに限定されていたのをドラクロア(彼の登場がマネの革命的モティヴェーションの醸成に大いに啓発している)等の登場が市民生活の市民性を主眼としたアーティストの眼差しが王侯貴族やブルジョワ達パトロンの存在を超えて、よりメッセージ化されたアート空間を現出させた。そしてその際にまず目に見える実際の風景がバルビゾン派に拠って再認され、次第に印象派に拠って色彩の乱舞を主張する様に展開し、ナビ派等に拠ってよりデザイン性や商業主義的ファッション性を獲得し、それはアールヌーヴォーとアールデコに拠って頂点に達した。
しかしそれらはあくまでニーチェの<悲劇の誕生>での分類からすればアポロン的なものであった。マネもぎりぎりの線でアポロン的アートの前提に於いて、しかしこういう主題があってもいいというチャレンジとなっている。しかしナビ派位迄でそのアポロンゲームは終了し、今度は野獣派等に拠りディオニソスゲームへと移行していったのだ。
そしてそれに輪をかけたのが第一次世界大戦とダダイスム、シュルレアリスムであり、それは現実や自然の模写であるとされたアートをより、ニーチェの言う夢の世界の復権(それを臨床精神医学的に展開させたのがフロイトであるが)を意味づけたのである。
従ってシュルレアリスム登場以降の絵画史では全てのアーティスト達にリアル世界、モネ的肉眼で見える世界の模倣や描像という意識から、眼には見えない、認知科学的に言えば脳内の、詩的に言えば心の世界がリアル世界を変えていくという意識で絵が描かれる様になっていくのだ。それはアポロンゲームオンリーのコミュニティにディオニソスゲームの加入、そして寧ろそちらの方が主体化していくムーヴメントとして現代アートゲームを俯瞰する事が出来る。
そのディオニソスゲームの中でディオニソス自体が否定されるべきものではない形でのディオニソスゲームの中で現代なりにアポロンを志向する慰安はヴィジュアル的に可能か、と問うた時に、それならエボナイト等の特殊な塗料や塗装方法に拠って可能ではないかと提言した最初のアーティストであるジョセフ・アルバースはナチスからの迫害を恐れアメリカに渡ったドイツ人だった。彼の登場がアメリカンアートにもその後の戦後アートにも例えばゲルハルト・リヒター、アンセルム・キーファー、ジャン・ミッシェル・バスキアやキース・ヘリング等に拠るストリートアート等も含む多くのディオニソスゲームの中でのロゴス化、アポロン的メッセージを模索するムーヴメントを構成させる事となった。
ポロックやデ・クーニングの世代ではよりアポロンゲームからの離脱の中で主題の模索が為されたが、バーネット・ニューマンの登場(その前哨戦としてのマーク・ロスコーの登場)がよりディオニソスゲームは既に始まって渦中にあるけれど、その中で現代に固有のアポロンとは何ぞやという問い掛けになっていき、アルバース、ケネス・ノーランド、エルスワース・ケリー、ロバート・マンゴールド等に拠るディオニソスゲーム時代に於けるフォルマリズムの模索、そしてその中でのモーリス・ルイスの絶対的な色彩と空間の平面上でのインスタレーションという意識が、より造形的ヴィジュアル像だけでない形での時代メッセージをアンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、クライス・オルデンバーグ、先述のバスキアやヘリングをメッセージ性というアート史上のアートレゾン・デ・トルの返答として続々とクリエイターが輩出させていったのが二十世紀アートだったと言える。よりコマーシャリズムとファッションともコンタクトを採ったのがウォーホルであり、彼の思想を文章化させた思想家こそマクルーハンだったと言えよう。
20世紀芸術の基本はその時代的必然的な展開の中でこそ理解されるべきで、自然の模倣をダイレクトに受け取っていた19世紀印象派登場迄をアポロンの無対話的時代、それ以降野獣派迄をアポロンゲームの中でのディオニソス獲得の時代、シュルレアリスム宣言以降抽象表現主義終焉迄をディオニソスゲーム(その先鞭としてカンディンスキーやクレー、バウハウス等のムーヴメントがあった)、ポップアート以降、同時代に並行して動いていたフォルマリズム等を含めディオニソスゲームの中でのアポロン性の獲得に費やされたそういった展開の中で登場してきた、と観てよいだろう。それはダイレクトに自然の模倣を信じられなくなっていき、そのprocessの中で実は宗教絵画も又18世紀や19世紀迄だって、結局それ迄の時代の内面の正統であったのだ、として位置付けていき(その近代迄の絵画精神を内面性の伝統として現代で解釈した日本のアーティストは難波田史男である)、現代はその時代と文化支配者層、指導者層からの共時的要請からでなくアーティスト本人の内発性に拠って提示していくメッセージとなっていくプロセスが此処三四十年の全世界的ムーヴメント(あらゆるヴィエンナーレやトリエンナーレを開催する事を常時とする)に観られるアート史の精神的様相であると言ってよいであろう。
Thursday, July 24, 2014
第六十一章 アート史に観られる価値転換と哲学思想
一般的に美術ファンをときめかすものは、大半が19世紀フランスを中心として、それ以降20世紀前半迄のアートに限られている。要するに人類がアートを楽しむという日常的行為が定着したのが19世紀だったという事が手伝っている。風景画自体が一つの形式として定着したのも19世紀フランスを舞台とするバルビゾン派以降だし、その流れの中で最大のヒットと言っていい印象派が続き、その後続編として野獣派(フォービスム)等が登場し、ピカソ、ブラック等に拠るキュビスム、そしてエコール・ド・パリが一般美術ファンの心を掴んでいる。それに対し何とかシュルレアリスム迄なら一般ファンの心を鷲掴みに出来ても、抽象表現主義以降のアメリカ現代アートはその支持層が全く近代絵画ファン層とは乖離している。要するに現代アートファンとはハイブローな思想性を自覚したインテリに限られるのである。
しかしそれは一つの理由があるのだ。
まずバルビゾン派に拠って風景というものを楽しむ事は市民生活にとって一つの憩いとなる事自体に、ある種宗教儀礼的な形式の一つであった絵画空間が、聖書主題的絵画から解放され絵画の楽しみ自体が宗教慣習から独立して叫ばれだしたその流れの中に、例えば肖像画(それはそれ以前は一部の王侯貴族達、一部の経済的成功者<其の中には稀に高級娼婦も居た>に限られていた。つまりモデルとなり、それを絵師に描かせるという行為自体が一般市民の間ではあり得なかった)もより一般市民層へと広げられていき(勿論ある程度の富裕層に限られていたが、それは著名画家に描いて貰う場合で、そうでない場合は当時は売れっ子で無名芸術家の娼婦でもあったキキ・ド・モンパルナス等以外では内輪的な顔馴染みである事も多くなっていた。)、そういった宗教儀礼的慣習からの芸術鑑賞行為の自立という意識の変革の中にバルビゾン派も存在し得たし、印象派もそういう全体的な市民生活の意識革命自体が支えた(事実、彼等にも画家仲間でもあった富裕商人の出である収集家でもあったギュスターブ・カイユボットといった人達こそがサポーターとしてのロールを担っていた)。
エドゥアール・マネが印象派展に出品して専門の鑑賞家達から嘲笑の渦となった名作『草上の昼食』(1862-1863)や『オランピア』(1863)は今見ても寧ろそれ以降のどんな革命的絵画より芸術行為、芸術鑑賞行為という前提の前では革新的であり、反社会的である。前者は一人女性のみ裸で男性二人に囲まれ肉体を二人だけでなく絵画鑑賞者へも晒し、あろうことか鑑賞者の方を見つめている。女性の前の男性はあたかも女性の肉体的美自体の鑑定家の様な風情である。後方にも湯あみする様な風情の女性一人が湖畔から三人の男女の方へ向って来ようとしている。後者に至っては完全にモデルは娼婦、そしてその娼婦は娼婦を買った男性の視線を借りる一般絵画鑑賞者の視線と重なっているのだ。
マネがこの様な芸術行為と芸術鑑賞行為の崇高さと思われている通念と常識の前にこの様な性的にも社会モラル的にも不埒な主題を引っ提げて落選覚悟で(事実落選した)出品してしまったが故に後代の芸術家達は既にそれ以上にアンモラルな冒険と挑戦自体を出来なくなってしまった。それから数十年後に登場するシュルレアリスムは多分に世界的情勢が大きく影響を与えている。初めて戦場で精神疾患を齎した世界大戦(第一次世界大戦)勃発に拠って人間精神が極めてクライシス的状況へと落とし込まれていたればこそ、アンドレ・ブルトンは<シュルレアリスム宣言集>を出版し、詩人や演出家、劇作家、画家、音楽家達がそういったムーヴメントへと関わっていったのだ。その中にロシアアヴァンギャルドも内包されているのだし、マヤコフスキー、ガルシア・ロルカ等も居た。つまり第一次世界大戦勃発時に於ける1910年代のダダイスム、その直後の1920年代からのシュルレアリスム宣言や未来派宣言、ロシアアヴァンギャルド等は全て戦争と革命と殺傷的な人類の悲劇が大きく影を落としている。臨床精神医学が(今凄く色々な意味で社会問題となっているけれど)社会的に必要な分野であると認識されていった過程もフロイト一人だけの影響ではなく、こういった世界大戦と精神疾患者の登場という世相があったのだ。
つまりアートファンにとってより娯楽性と人類の平和や友愛やエロスを讃歌的に楽しめる最後の動向こそ印象派から野獣派くらい迄のアートだったのだ。それ以降、つまりピカソ等に拠るキュビスムさえ、直観的に戦争と経済的困窮の二十世紀初頭というリアルを暗示的に、無意識にシンボライズさせていたし、それ以降の全革新的なアート運動が、そういったクリエイター達の何故創造するのか、という命題的、モティヴェーション的な問いかけと無縁では居られなくなっていくという訳なのだ。
その事は当然芸術自体の存在様相をより哲学色の強いものとしていかざるを得なかった。そしてそれは第二次世界大戦中にヒトラーが退廃芸術展をベルリンで催し、彼等が滅ぼされ、第二次世界大戦を終えた後もアート界全体、クリエイターであるアーティスト達から、その受け手であるアートファン達の関心傾向をも哲学思想色を濃厚に残した侭21世紀を迎えたと言っても過言ではない。ブルジョワ的な市民生活の謳歌と、愉悦的幸福の象徴であったアートは、より人類のこの運命的な悲惨や世界情勢の緊迫化の前で、より真摯なモティヴェーション問い掛け的なストイックな態度をクリエイターから受け手迄に背負わせてしまったのだ。従って戦後フランスで花咲いたアンフォルメルもそうだし、抽象表現主義と相前後して登場する日本の具体やドイツからアメリカへメインステージを移行させていったフルクサス等も全てそういった時代的な芸術行為、芸術鑑賞行為の持つ命題論的なモティヴェーション論的問い掛けに充満している、と言ってよい。
だからこそマネの世相や芸術を嗜みとして文化的に理解する市民のプチブルジョワ性への抵抗として純粋なモティヴェーション意識で絵画創造する事自体が、最後のチャレンジとなってしまった。つまりそれ以降の全アートはそういう幸福な抵抗と挑戦をさえ無力化させる時代のニヒリスティッシュなメンタリティを介在させてきているのである。
その時代の前哨戦としてキェルケゴール、マルクスとエンゲルス、フロイト、そしてその最中にフッサールやウィトゲンシュタインやハイデガーが登場しているのだ。
当然アンフォルメルの時代のフランスには既にサルトルも活躍していたし、デリダも生活していたのだ。
アートが思想色を鮮明にしてかざるを得なくなっていく時代へ巻き込まれていく前哨戦としてバルビゾン派と印象派展とマネの挑戦があったという事はよりお分かり頂けたと思うが、そのアート自体の思想色はしかしテクネ的には極めて却って印象派以前より職人性を、つまりアーティストの固有のテクノロジーの伝搬者たるクリエイター達に専門的技術の秘法を持たせる事となった。それは彫刻が市民にとっての広場という発想でより戦後着目されていくプロセスの中でインスタレーションや彫刻史自体が絵画をも変質させていくプロセスで、彫刻家を中心とするマイスター的テクネの継承者達の精神を中心に、絵画自体のフォルマリスティックなヴィジョンの獲得と共にどの画家達も従来型のルネッサンス以来の伝統的テクネだけでなく、それをも凌駕するマテリアリズムを獲得していく必要があった。それは描写的な天才であったサルヴァドール・ダリの様なタイプの古典的画家もそうであったし、モーリス・ブラマンク、ジョルジュ・ルオーや戦後NYで活躍したポロックやデ・クーニング、フランスのピエール・スーラージュ、ベルナール・ビュッフェ等の全アーティストにそれを求めさせた。
より彼等はグレーで黒という存在刻印の色を追求したピカソより、ブラックという色彩に拘った。そしてその前哨戦として『草上の昼食』で森の内部の影で暗示し、黒を猫と室内背景に拠って『オランピア』で登場させたマネの仕事が大きく後代へインスパイアさせている。確かにマネ以降直ぐにモネに拠って色彩の讃歌は為された。しかし彼も晩年の睡蓮の連作では内面的な黒というものを着目していくし、ルノワールも陶磁器の絵付け職人出身の持前のテクネでより晩年の裸婦では黒を重要なポイントカラーとして選択している。アートは色彩の讃歌を経過しつつも、より黒の使用に拠って大きくクリエイター、アーティスト達へ存在論、実存論的創造モティヴェーションの命題化を達成してきたのだ。それは一面では芸術創造の価値が市民生活に潤いを齎さす一種のヴィジュアル的な娯楽であるだけに留まらず、ある時代を生きた証人として実存論的な創造命題的態度と共により哲学者化せざるを得なかった時代の足跡として理解する事が出来る。アーティストはどんな天才でも一人で生きている訳ではない。そのリアルをよく自覚する事で、自分を育てた時代への返礼として精神性をシンボライズさせる黒という色彩の持つ意味、そしてそれを利用して時代へメッセージとして物象化されたテクネの産物であるアート作品を提示していったフットプリントの前には、一見世相や政治性と無縁であったと思われているセザンヌの様な抽象絵画の父、フォルマリズムの祖と言われる存在に於いても顕現されている。彼のタブローの持つグレー統一的テクネはやはり一面では凄くポイントカラーとしてブラックを巧く活用している。それは黒それ自体が目立つ初期から、余り目立たなくなる後期に至る迄一貫している。それをよりアート史的に継承させたのがピカソであったが、ピカソの<ゲルニカ>に於いては、その創造命題的態度でモティヴェーションの在り方への問い掛けを十全に示さざるを得なかったと言える。ピカソは愛人達との間のプライヴェートなアーティストだけでなかった。そしてそのブラックカラーの選択には、彼の先輩で唯一個展には必ず赴いたとされるマティスにも最もよく示された絵画創造態度であったし、カンディンスキー、藤田嗣治(レオナール・フジタ)、マレーヴィッチが同時代のウラジミール・タトリンやアレキサンダー・ロドチェンコ等彫刻家からやはりインスパイアされて絵画創造命題的態度を構築していったプロセスでも十全に読み取れるものと言ってよいだろう。
Monday, June 30, 2014
第六十章 価値と倫理Part6 革命への断念と失望とアートパフォーマンスとモブフラッシュⅡ
韓国の大企業は大半が(現代、サムスン、LG等どの企業も)大株主は外国人、外国企業であり、言ってみれば韓国人自身の雇用者は出来る限り低賃金で酷使され、ほんの一部の大企業経営者、或いは大株主以外は益々外資にとって都合のいい企業経営戦略に拠って益々格差社会と化している事は、昨日民放のワイドショーでも紹介されたし、多くのジャーナリスト達に拠って情報が開示されてきている。ソウル市河南区九龍村(カンナン区、クリョンマウル)は僅かカンナンヒルズとでも呼べる区域から数百メートルしか離れていないにも関わらず天国と地獄の差であると言っていい。似た様な状況は中東でもアフリカでも国、区域に拠っては垣間見られるかも知れない。
其処で誰しもが二極分離社会となっていく国家全体の中で、貧民層から卓抜した知性の人が登場し、貧困層を救うべく革命的行為をして、仇を討って欲しいと願う人達も居るかも知れない、と想像はする。しかしそういった知性の持ち主は貧困層出身であっても、次第に大きな仕事へと登用され、最終的には経営の実権迄握る位迄伸し上がる可能性は高い。そうすると彼は自分の能力に見合った仲間を貧困層とか富裕層とか出身に拘らず探し、協力し合う様になるだろう。かくして彼に拠って革命的な行為が成し遂げられるという事は一種の19世紀的幻想でしかなく、彼も又成功者として富裕層の一人として仇を討つとかいう様な心理からは只管遠ざかって行き、エスタブリッシュメントとしての生活を享受する様になるだろう。従って現代社会ではこの極端な高額所得者とか富裕層と、万年失業者や貧困層との分断はほぼ永遠に埋まる事なく、社会矛盾の一様相として継続的に論議されていくべき課題として残るだろう。
そのほぼ絶望的なる反復は、とどのつまり共産主義の失敗(ロシア革命以降のソヴィエト国家の崩壊)に拠って証明されてしまっている。寧ろ革命の末に成立する国家や社会では、官僚主義的な閉塞感だけが支配するという事を人類が知ってしまっている以上、最早残された牙城は中国だけだ(とは言うもののロシアもその本質は集団主義的部分ではソヴィエトとそれ程大きく違う訳ではない。只資本主義化された経済システムを導入しているだけに過ぎないとも言えるが)と言っても、当の中国も体裁的には経済開放区を設ける事で、やはり資本主義経済を導入しているかに見せかけている。しかし其処に言論の自由はない。基本的に中国は階級社会的官僚制度と一党独裁と言論統制に彩られた形式的な資本主義であるに過ぎない。
この様な生活水準自体が二極分離していく社会では使用される言語の語彙使用から、ちょっとしたテーブルマナーに至る迄徹底してブルジョワ階級的な上流社会と下流社会とでは交わる事のない品性が直観的に意志疎通する際に一瞬で判断される様なタイプの沈黙の差別が横行していくのかも知れない。とは言えあくまで成功者も富裕層も、絶対的永続的な在り方なのではなく、一瞬で数億の負債を抱え込んだり、ワンクリックだけで倒産に迄追い込まれたりする訳だから、当然その沈黙の差別も一寸先は差別される側に回るのが自分かも知れない、という目測を含んだものともなり、結局革命的幻想が遠い昔日のロマンへと後退してしまっているかの様に、或いは今という時さえリアルに明日へと継続していく可能性に充満したものでなく、あくまで刹那的な快楽を享受する瞬間でしかない、とまるでオージー(日本ではオレンジ等とも言う。つまり古い言葉で言えば乱交パーティー、スウィンガーの集い)を繰り広げる様な饗宴の中で一時の安堵の溜息をついているだけかも知れない、と全ての成功者達は感じ取っているかも知れない。そういう憩を感じずに何時も質素な気持ちで居られる人達の中のほんの一部だけがある程度継続的に生涯成功者としてのポジションを維持し続ける事が出来るのかも知れない。勿論そういう一部の人達も常に存在し続けよう。
集団的自衛権を法制化する事に反対の意を唱えて昨日新宿駅の近くの歩道橋の上に居座って演説をした後焼自殺を図った男性が居たが、こういった政治的パフォーマンスは今後も続出するかも知れない。しかし仮に日本で集団的自衛権行使容認の法制化が整備されても、それが反対の立場の政治家達に拠って覆られていっても、恐らく中国に拠る日本への尖閣列島等を巡る領海侵犯的行為は断続的に反復されていく事だろう。こう言っては何だが、日本国内での集団的自衛権を巡る憲法解釈問題とは、日本人自身の戦後的良心を巡る一種のイデオロギー論争なのであって、その事自体と、軍事防衛的なリアルとは常に乖離していると言える。つまり北朝鮮もなのであるが、彼等が中国からも韓国からも疎まれている限り、挑発的に日朝協議が開催される度に事前に日本の本意を探る形でこれからも日本海にミサイルを発射させるブラッフィングは繰り返されるであろう。
アーティストは時代を変える事は出来ない。時代を変えるのはアートがメッセージとして送る時代の不安を除去しようとする国民全体であり、ある部分表現者のメッセージは哲学者の理論や観念同様、何時なんどき、国粋主義や民族原理主義へと転化されるか分からない脆弱さも持っている。ボブ・ディランの反戦反黒人差別のメッセージの普遍性も、その当時のアメリカ合衆国自体が世界一のGDP(その比率は世界GDPの六割近いシェアであった)のリーダーであったという事を前提しているのであり、恐らく日本円にして二億近くでLike a Rolling Stoneの歌詞のメモがオークションで遣り取りされるだけのカリスマ的な存在は今後世界で登場する事はないだろう。もし登場するとすれば、世界中で核戦争になっていったり、世界中を大地震とか大津波が覆う様な地殻変動が起きる様になっていったりする事に拠って世界中の原発のエネルギー施設が崩壊し、倒壊して、世界中を放射能が拡散して人類が生存を脅かされる時だけではないだろうか?
その意味では1960年代のフォーク、ロック(ウッドストックジェネレーションにシンボライズされる)ムーヴメントに近い様相の社会運動は二度と再来しない、というのが私の予想であり、寧ろ形骸的にフルクサスのトライアルを商業化していった様な(草間彌生の作品の商業デザイン化の様に)よりきゃりーぱみゅぱみゅの持っている様なピンクレディー焼き直し的な意味でのアートパフォーマンスやモブフラッシュの様な試みが継続し、其処に何か格段のモティヴェーション的な革命性は徐々に消え失せていくだろう。
もしそういうモティヴェーション的な革命性を求める動きがあるとすれば、日本国内でかつては造船や製鉄で隆盛を極めた山口県下関市や、福岡県北九州市等の人口減少化している都市空間や過疎化したエリアで吟遊詩人や地方素人歌舞伎や今のネットを駆使したコミュニケーションではなくビラや地方紙自体をゲラ刷り等の輪転機を利用したオールドスタイルのコミュニケーションで実践する等の試みに拠ってではないだろうか?
つまりマクルーハン、ウォーホル的、もっと遡ればワルター・ベンヤミンが予言した様な複製やマスメディアの幻想を利用した戦略的メッセージへは人類全体がより深度のあるモティヴェーションを運ぶメソッドとしては懐疑的である事からも、伝統的マナーに則った芸能等の古典保存意図と地方人同士の生活的協働性に根差したメッセージこそが静かに失望された革命的幻想に代わってより説得力のあるメッセージとして理解されていく、仮にネット利用されたとしても地域限定的な利用のされ方が見直される様なタイプのメソッドに拠ってではないだろうか?
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